平田牧場の本社は山形県の日本海側、庄内地方北部の酒田市にあります。ここは古くから大阪と蝦夷地(北海道)を結び、米やニシンを運んだ北前船の寄港地として栄え、文化と経済の交流が盛んな土地です。酒田の湊は北前船だけでなく最上川を行き来する川船も多数集まり、「西の堺、東の酒田」と言われるほどの賑わいでした。
北前船がもたらした繁栄によって酒田には「豪商」と呼ばれる家が多数ありました。その中でも最も有名なのは日本一の大地主と名高い本間家です。本間家には「国家や郷里のために全力を尽くすこと」「よく働き倹約に努めること」「人の目に触れない善い行いを重んじること」などの家憲(一家の掟)が代々伝えられていました。藩の財政が厳しい時や飢饉で農民たちが苦しい時には、率先して郷土の人々ために救済にあたったと言われています。
経済の交流とともに酒田にもたらされたのは、上方文化。京文化が開花した酒田を代表する料亭だったのが「相馬屋」です。この建物は明治27年の庄内大震災の大火で焼失し建て直されましたが、料亭としての役割を終え観光施設として甦りました。
現在では酒田舞妓の艶やかな踊りを鑑賞できる「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」として観光に訪れる方を魅了しています。